僕がデビューしたのは昭和50年9月21日のこと。デビュー曲は『20歳のめぐり逢い』で、レコード会社はポリドール・レコードでした。あれからかなりの年月が流れたわけですが、僕にとってこのグループで過ごした8年間はまさに青春そのものでした。そんな僕の人生のひとコマを、古いレコードジャケットなどを通してご紹介できればと思います…
現在『シグナル』のCDで購入可能なものは下の2枚のベストアルバムです。
1st Album
2nd Album
「衝撃のポスター」で恥ずかしい思いをした僕ですが、なんと、もう1つ‘汚点’を残していました! それが、このシグナルの2枚目のLPジャケットです。 普段着の3人もさることながら、右45度、上向きのポーズがなんとも“しらじらしい”ですねぇ。それと、パーマのかかった僕の髪形、「シグナル」の字体が輪をかけていい味を出しています。
よく見ると、バックグラウンドの写真には2人しか写っていません。 なぜかと言うと、このアルバムを録音する前にメンバーの1人が脱退して、新メンバーが見つからないまま撮影に突入してしまったからです。その時点では、「今後はデュオで活動」ということになっていて、すでにジャケット・デザインも出来ていたようなのです。
が、やはり、「シグナルは3人で1つのグループ」という意見が強く、稲垣達雄さん(ベースギター)に参加してもらうことになったのです。そこで、LPジャケットに新生シグナル3人の顔を出す必要性が生まれて、あわてて3人一緒の写真を事務所で撮ったわけです。で、それを‘デュオ’の写真に合成して、なんとかジャケット印刷の締め切りに間に合わせた、というのが真相だったようです。
3rd album
4th album
5th album
5枚目のLP。収録曲の半分くらいは、『メルティング・ポット』というバンド(主に、八神純子さんのサポートをされていました)と共に、伊豆のスタジオで録音しました。アレンジャーは、天才と言われた大村雅朗さんでした。気の置けない仲間たちとワイワイやりながらレコーディングしたものだけに、思い出深い1 枚となっています。
『歌を忘れた小鳥の様に』、『沈黙時代』の2曲は、阿久悠さんに作詞していただきました。また、『ウッドストックを越えて』は、シグナルの解散ライブ(大阪バナナホール)の時に最後に唄った曲でした。
6th album
7th album
1st Single
シグナルのデビュー曲。やはり、最も思い出に残る作品です。「手首の傷は消えないけれど…」という一節は、当時としては斬新でドキッとするフレーズだったようです。『22才の別れ』や『なごり雪』という名曲と発売が同時期だったこともあり、全国の音楽チャートで1位になることはありませんでしたが、『20 歳のめぐり逢い』は数多くの地域で1位を獲得していたようです。
ちなみに、ジャケットの裏のメンバー紹介によると、当時のメンバーのニックネームは、「足長あんちゃん」「アキ」(あさみあきお)、タレ目仮面(田村功夫)、三色スミレ(住出勝則)となっています!
2nd Single
2枚目のシングル。大ヒットした『20歳のめぐり逢い』の陰に隠れてしまいましたが、この曲が好きだと言われるファンの方は多かったようです。ジャケットの方も、なぜか、3人が‘影’となって登場しています。
4th Single
3人とも、ひじょうに眠たそうな顔をしているジャケットです。たっちゃん(稲垣達雄)と僕の白いベルトがいい味を出してますねぇ。
曲の方は、サビの「ラララ恋にバイバイ」のバイバイの部分が、何回聴いても「パイパイ」にしか聴こえない、とよく言われたものです。「なんで、恋にオッパイなの?」と。そこで、今回、聴きなおしてみたのですが、やっぱり、pie, pie(パイパイ)としか聴こえませんでした! まあ、いいかぁ…。
B面は『待ちぼうけ』という曲でしたが、ピアノは僕が弾きました。
5th Single
シグナルの転機となった1曲です。 それまでの叙情的なフォークのイメージを払拭して(それが悪いという意味ではなく)、男らしい面を強調したい、というのが狙いでした。
この歌の思い出としては、当時、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』という高視聴率を誇る歌番組に何度か出させていただいたことです。 この番組は出演者の豪華さと凝ったセットの組み合わせがウリの1つだったのですが、『黄昏のあらし』のときは、たいまつのような炎を数ヶ所に置いて「燃えるイメージ」を作ってくださいました。お陰さまで、このセットが曲調とマッチして、僕らが出演した週のレコード売り上げが一気に伸びたことを記憶しています。
B面は『雨の別れ』という曲でした。
6th Single
ルックスはさておいて、シグナルもアイドルを目指した(?)頃があったのです! 見事なまでの、‘三角形ポーズ’はけっこう笑えますねぇ。写真の中で誰もギターを持っていないのが、ちょっと妙かな?
この作品は、「いやらしソング」(主人公の男性がけっこう “いやらしい”)とファンの方々から呼ばれたシグナルの一連の曲の1曲ですが、「抱いて抱きしめて 俺の胸でおまえは女になればいい…」という部分がウリでした。
7th Single
ドラマチックなイントロで始まる「歌謡フォークポップ」系の1曲でした。 サビに出てくる男女の会話(例:「疲れてしまったね 別れようか」「嫌だわ 昨日までが無駄になるわ」)の使い方がおもしろかった作品です。 それと、この男性の別れる理由—「あなたを嫌いになった訳じゃないよ あなたより好きな人が出来ただけさ」—という一節も斬新(と言うか、わがまま!?)だったようです。
特に、東北地方と北海道で受けた曲ですが、なぜか、関東地方ではいまひとつという結果に終わってしまいました。 B面には、稲垣達雄さん作詞作曲の『風になれたら』という、僕のお気に入りの歌が収録されていました。
8th Single
「いやらしソング」集の中ではいちばん売れた(と言っても中ヒット)作品でした。おそろいの衣装を身にまとい、横から飛んでくるトランプと一緒に撮影したジャケットです。この頃のシグナルは「歌謡フォークポップ」を目指していて、アレンジの方は、当時沢田研二さんの編曲で有名だった船山さんにお願いしました。期待どおり、「ひょっとすると売れるかも…」という感じのアレンジで、メンバーも納得の仕上がりでした。
B面は『エアポートふたたび』というボサノバ系の作品で、「シグナルの中では名曲に入る1曲じゃないですか」と言ってくださるファンの方が多かった歌です。
12th Single
「背中から抱いて 髪に口づける ふるえてる君と これでSAYONARA」というサビから始まる曲です。 マイナー・キーのシングル盤が多かったシグナルですが、この歌はメジャー・キーのポップな作りでした。 この頃の作品には、必ず♪チャン・チャ・チャンと手拍子できるような個所があったのですが、この歌にもサビ前にそういう部分がありました。 今でも、目を閉じれば、当時のコンサート会場での手拍子シーンが甦ってきますね。
14th Single
シグナルとして最後のシングル。
おそらく3rdアルバム「DAY DREAM」(1978年)の頃のもの
「真ん中の人、ダレ?」とか、「若手の漫才トリオ?」というような質問が聞こえてきそうなポスターです!下の方に、「17cmシングル盤“黄昏のあらし”」、「30cm LP "DAY DREAMS″」と書いてありますので、おそらく、1977年の秋頃に撮影されたものと思われます。
ひじょうに寒そうな顔をしている3人ですが、なによりも、僕のヘアースタイルがいちばん笑えるのではないでしょうか! なぜ、こんな大胆なことをしたかというと、僕は、当時、『失恋レストラン』という歌で大ヒットを飛ばした清水健太郎さんのヘアースタイルに憧れていたのです。そこで、「よし、俺も髪を短くしてカッコよくなってやる!」と意気込んでヘアーサロンへ行ったわけです。が、‘予想’と結果は一致することなく、‘どんぐり’のような髪型になって戻ってきてしまったのです。 おかげで、しばらくの間、帽子をかぶって仕事へ行くという状態が続きました。やっぱり、無茶な試みはケガの元ですね。
今はなき関西版『週刊FM』(音楽之友社)、1981年9月28日号の表紙
関西版の『週刊FM』(1981年9月28日号/音楽之友社)の表紙を飾ったときのものです。200円という定価も驚きですが、「ポスト・アリスは?」という特集記事も興味津々ですね。「男性トリオの妙味を探る」というサブタイトルと共に、6つのグループ — シグナル、アルフィー、レイン、阿呆鳥、ロブバード、Do! — が‘ポスト・アリス候補’として登場しています。すでにご承知のように、この中で大成功を収めたのは『アルフィー』ですね。