オーストラリアに住んでいた頃は、悔しい経験の連続だったように思います。昨日、ふと思い出したのは、あるパブ(「ホテル」と呼ばれて、ライヴが聞ける)での出来事。当時、現地でまったく人脈のない僕は演奏できる場所を探していたわけですが、ある新聞広告で「50ドル争奪・ミュージックコンテスト」みたいなのを見て応募したんです。そのパブがテレビ局の近くにあって、スタッフの溜まり場的なところだという情報も入っていたので、淡い期待を抱きながら出かけていきました。で、結局、最後に残ったのは僕とオーストラリア人の弾き語りの男性二人。この男、どう見てもプロとは思えないし、会場にシールドを持ってきていないというオマケつき。そして、ひとりずつ1曲ずつ演奏してパブの店長が勝者を決めるというものだったんですが、案の定、その彼が選ばれました。
正直、この時ほど屈辱的な気分になったことはありませんでしたねぇ。何も、たった50ドル(当時で3,500円くらい)を取りそこなったからという理由ではなく、明らかに、僕がアジア系の人間で、しかも、ソロギターという形態だったからという空気が見え見えだったからです。気分が落ち着いたあとに、会場にいたお客さん数人に感想をそれとなく聞いてみたら、「お前のほうがはるかに良かったのに・・・。気にするな」と言う人ばかり。
この後も、似たような経験の連続だったのですが、それにつれて、僕の中では「いつか見返してやる。今にみてろ、この野郎!」というマグマにも似た情熱が原動力に変わっていったように思います。僕は、とにかく音楽に関して「なめられる」というのが大嫌いで(とくに、ギター1本だから、という理由で)、当時は、本当になめられっぱなしだったわけです。差別的な待遇にも耐えながら、そんな中で生まれたのが「♪SATORI」なんですよね。タイトルには自戒の意味もこめられていますが、この曲には僕の汗と涙のみならず、僕の反骨精神が注入されていて、僕のソロギターの原点ではないかと呼べる作品だと自負しています。
今も、この燃える気持ちに変化はありません。なぜって? 日本のソロギターの認知度もろもろ見るにつけ、知るにつけ、まだ、「いつか見返してやる。今にみてろ、この野郎!」という前向きな感情を失っていないから…
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