カナダ・ツアー記(2)

ツアー3日目(3/5)のライブは、ギブソンズにある「ラット・パック・ルイー」というお洒落なレストラン・カフェで、ホースシュー・ベイという場所からフェリーで向かう。以前、バンクーバー・アイランドへ行ったことがあり、なんか船に乗るのが懐かしい感じがした。航程は45分くらいですが、湾はもちろんのこと、雪に覆われた山々の姿が美しい! 「やっぱり、カナダはこれやっ!」と心の中で叫んでしまった。自然っていいなぁ。とにかくデカイ!

さて、現地へ着いたあと、さっそく会場へ入りセットアップ。すでに、このライブを仕切ってくれている関係者の方が作業中。準備終了後、時間的に余裕があったので、その方の家へ向かいしばし休憩。今夜はここへ泊めてもらうということで、荷物を置いて身軽になる。この時点で、まだ時差の影響があり、ちょうど出番頃(19:30~20:00)が疲れ(+眠さ)のピークに合ってしまうというサイクルが出来上がっていた。でも、お客さまの入りもよく、本番は予想以上に受けたので、徐々に地元の空気感に慣れてきたように思えました。

この次からの日程は、ペンティクトン(3/6)~ウインフィールド(3/7)~コーストン(3/8)~サーモン・アーム(3/9)という流れ。ペンティクトンからは、ドンのブッキング・エージェントであるアンさんが合流。以降は、PAと簡易な照明器具を持っていく必要があったので、車二台に分乗。機材が増えたことで、セットアップと片付けがけっこう肉体的にキツクなる。指やら爪を傷つけないように気をつけながら、全員で作業を分け合うことに。大変だけど、これもツアーの楽しみのひとつかもと思いながらやっていたので、苦にはならなかった。ただ、僕が車の運転ができないので、ドンちゃんに負担がかかってしまったことは申し訳なかったなぁ。旅の途中の壮大な景色が抜群に美しかったのがせめてもの救いかな? あと、演奏的には、時差ボケが遠のきかけた8日くらいから自分らしくなってきたように思います。それと、、途中の会場でアンさんが「水牛(バッファロー)のステーキ」を料理してくれてもてなしてくれたのが嬉しかったなぁ。生まれて初めて水牛を食べたけど、意外とあっさりして美味しかった! 

3月10日は移動日で、カムループスというところへ向かう。当初、この日は予定はなく休養にあててあったのですが、主催元の日本文化協会の関係者のはからいで、ライブの宣伝をかねて現地のテレビの生放送(チャネル7の“ミッド・デイ”という情報番組)に出ることに。スタジオは規模は小さいけれど本格的な感じ。簡単なサウンドチェックのあと、12時半頃に出演。ドンも僕も1曲ずつ(僕は短いバージョンのSATORI)演奏することに。インタビューも含め8分くらいは出ていたようです。海外でのTV出演は初めてだったので、けっこう面白い経験となりました。

さて、翌11日は上記の日本文化協会主催のチャリティー風のライブ。なぜチャリティー風かというと、僕らが当初やる予定だった会場が火事で全焼してしまい、その再建のための資金募集行事となったわけです。この夜の会場(超満員)には日系カナダ人の人たちも多かったけど、お年寄りの方々にも来ていただけました。司会は、前日のテレビ局で偶然会った、モノまねを主にやっている芸人のロバートさんにお願いすることに。彼には趣旨を理解してもらい、気持ちよく協力してもらえました。けっこう面白い人やったなぁ。とくに、彼はギターと縁が遠いということで、僕の名前を「スーマイド」と発音するのは愛嬌としても、ドンの紹介で「~年度インターナショナル・フィンガー・チャンピオン!」と言ったときは大笑いしました。まぁ、フィンガー・チャンピオンでもええけど(フィンガー・ピッキングが正しい)、これには会場も大笑いでした。もちろん、それ以降、僕もドンのことを「フィンガー・チャンピオン」と言っていじくったことは言うまでもなし! お陰さまで10数万円を寄付することができました。この夜のライブが一番盛り上がったように思います。気分的には、大阪でやっているような錯覚を受けましたねぇ。

続いて、3/12はドンの故郷のウイリアムズ・レークでのライブ。さすが地元ということで、直ぐに売り切れてしまい、14日にも同会場で追加公演をしましたが、これも売り切れ! ドンは気合が入りまくっていました。会場は100名くらいのシアターだったのですが、音、照明とも良かった! もちろん、お客さまのノリもよかった。ので、新曲まで披露しました。カナダへ出発する直前にできたディスコ系の作品ですが、反応はよかったのでひと安心。MCも英語だけれど調子が出てきた。やっと! で、13日はクエネルというところでの公演。15日はベルモント、そして最終日はバンダーフーフ。どれも「あ~、あと少しで終わりかぁ」という安堵感とともに、一抹の寂しさを感じながらの公演でした・・・。

16日が最終公演だったので、翌日は日本へ戻るために、まず、プリンス・ジョージという町から国内線でバンクーバーまで向かう必要がありました。なんと朝の7時15分発。ということで、バンダーフーフを4時半に出発ということに。前夜は荷物の整理もあり、ほとんど眠れなかった。早朝、前日の雪のこともあって道路が凍り気味でしたが、なんとかチェックインに間に合う。ドン、アンと抱き合い最後のお別れをする。やっぱり、たった2週間とは言え、喜びや苦労を共にした仲間やから、こみ上げるものがあったなぁ。

バンクーバーから関空へ向かう乗り換え便までにはかなり時間があったので、とりあえず、チェックインできるかどうかカウンターへ確認へ向かう。受付OKということで「ラッキー!」という感じまではよかったのですが、担当者によると「パスポートの情報はコンピューターに入っていますが、座席を割り当てることはできないんです」と、「え~、ウソやろぅ? 何でやねん」みたいなことを言われる。続いて、「でも、スタンバイ状態にできますので、席は確保はできます。ゲートで名前を呼ばれるまで待っていてください」と言われたけど、「ほんまかいな、大丈夫?」という不安は残りました。まぁ、でも、なるようにしかならんから、しばし空港内でリラックスする。このバンクーバー空港は緑もあるし、床も木が使ってある部分が多いので、お役所的な建物のイメージはない。これはええねぇ! 人工的に小川が流れているとこもあるし、総合的なデザインもいい・・・とか思っているうちに時間となり、ゲートへ向かう。まもなく担当者が現れたので、事情を説明すると、「大丈夫ですよ、席は確保してあります」ということだったのでホッとする。そして、次の出来事にもっとホッとすることに・・・名前を呼ばれて受け取ったボーディングパスを見ると、なんと「ファースト・クラス」と書いてあるではないか!!! そう、アップグレードしてくれていたのでした! 思わず、2~3度確認してしまいましたが、間違いはなかった。ということで、帰りの便はシャンペーンから始まり、なんとも言えないほどラクに過ごせました。そう、最高の形でツアーを締めくくることができたのです! あの広くて完全に寝れる体勢まで椅子を動かすことができるシートであれば、全世界どこでも行けるわ~、とちょっと強気になるほどええ感じで終了!

【総評】
今回ほど人の温かみを直に味わえたことはなかった。沢山の人たちに助けてもらい、協力してもらい、国は違えど、基本は「人間」そのものという認識を強くしました。こんな経験ができるのも、ギターがあってのこと。そして、ドンを始めとする友人のお陰です。今回は、宣伝が行き届いていたように思います。各地元の新聞・情報紙などでも大きく報道されていたし、中には表紙になったものもあった! その過程でかなり苦労があったことと思いますが、ドンちゃんの努力には頭が下がる思いでした。これも音楽が取り持つ縁なんだけど、やっぱり音楽は国境、そして人種を超える、と今回のツアーを通して実感できたことは良かったなぁ。正直、もう若くはないので肉体的(精神的にも)にはかなりキツイですが、そうそうできる経験ではないので、今後も機会があれば出かけていきたいと思っています。僕の座右の名である「経験に無駄なし」は、まさにその通りだと思いますねぇ。かならずや、この経験は音となって現れることと思いますよ。今後をお楽しみに!

あとは、ソロギター音楽が国内のみならず、もっともっと世界で普及することを願うのみです。そう念じつつ、今回のレポートを締めたいと思います。

僕の旅は続きます・・・